ラブマイセルフ

死ぬことは救いだと思っている。

死ぬ。世界から途中退場して、全てから解放される。楽になれる。

私がいなくなっても困る人間は何十億人のうちのたった数十人、しかもたった何週間かだ。そのうち忘れられる。教室の机に置いてある花瓶も花が枯れて捨てられればそれまでだろう。

 

 

 

 

生きる糧は防弾少年団くらいしかなかった。2月17日のドームコンサート、次の日の推しの誕生日。単純に、生きていることに疲れた。だから死んで楽になりたいと思った。死んだら楽になれるのに、死ぬまでが楽ではなかった。

 

何回も手首を切った。ロープを買いに行くのが面倒だったから100均の安いビニール紐を3本同じ長さに切って三つ編みにして即席ロープを作りドアノブに掛け、首にもかけた。薬を処方された量より多く飲んだ。結局どれも失敗した。

私が死にたいと思うのはいろんな理由がある。例えば進路のことで親と意見が合わないとか、病院に行ってるのに病気が治らないとか、昔のトラウマが悪夢になって襲ってくるとか、嫌いな奴のツイートをみてしまったとか、私じゃない人からしてみると「何こいつ、こんなくだらないことで悩むとか自意識過剰だね」と思われるようなことで悩む。そんな被害妄想をしてなんだか自分が地球上で一番くだらなくて醜い存在に思えて、そうして死にたくなる。1度死にたくなると寝て起きても死にたいという感情に支配される。なにをやってても死にたい、死にたい、楽になりたい。二言目にはしにたい、教科書にも死にたいと落書きした。

 

 

 

でも人間は本当に面白くて、普段死にたい死にたいと言ってる人が本当に死にそうになると泣いて死にたくない、生きたいと言う。本当に死にたい人は用意周到に、立つ鳥跡を濁さずと言った具合に死ぬ。現に私は3回以上死ねなかった。途中で怖くなってやめた。やめてもみじめだった。とんだ恥さらしだな、と遠くで誰かが言っているような気がした。

 

 

 

ラブマイセルフが難しい。私はまず自分を探さなければいけない。スタートラインにも立てていない。自分って、なんだろう。みんなの前でバカ騒ぎする自分も自分だし、鬱っぽくなって夜中に泣きながら手首切る自分も自分だし、ツイッターでセンシティブな発言を繰り返している自分も自分だ。どの自分が正解とか、ないような気がする。もしナムジュンが私の側にいて声をかけてくれるなら、「全て紛れもない貴方自身です」などと優しい言葉を投げ掛けてくれたのだろうか。愛すということも難しい。一口に愛すると言ったって、愛には様々な形がある。ハグすることが愛情表現な人もいれば、殴ることが愛情表現だという人もいる。自分を自分で抱きしめたらラブマイセルフ?自分を自分で傷つけたらラブマイセルフ?他人愛することは簡単だ。だって、私達はいつもツイッターで推しに愛の言葉を送っているから。どんな言葉で気持ち悪く愛を綴ろう愛していることに変わりはない。ラブユアセルフはできてもラブマイセルフは簡単に出来そうにない。私達はとんだ難題を突きつけられたものだ。

 

もし私にもう少し余裕が出来て、少しでも自分を愛せるなら、朝起きて、ご飯を食べて、お気に入りの服に着替えてお気に入りのアイシャドウとリップを塗って、イヤホンで好きな音楽を聴いて、新しい洋服を見に行きたい。

昔は自分の顔が大嫌いで大嫌いで早く整形したくて、マスクをずっとつけていた。だけど友達から「マスクがなくてもちゃんとかわいいよ」といわれて、少しだけ自分に自信がついたから最近は外している。  もしかしたら、ラブマイセルフって、自分に自信をつけることかもしれない。好きな洋服に身を包んで、街を歩くことかもしれない。自分自身を探すことも、愛することも難しいけれど、少しだけでも自分が好きになれたら、ラブマイセルフってことでいいかな。おわり。次はジェイホープの魅力について語ります……(*˘︶˘*)